「素敵な暮らし」のミニマリズム
「最小限主義の心理学」不定期連載第14回
■「下りた」という感覚
「下りた」というのが近いのか。
振り返ると、松尾祥子さんとの対談で、「キャンプもいいけど、いい道具を揃えようとすると、また競争になる」と言われたのがターニングポイントだったような記憶がある。ミニマリズムで本を捨てて、モノで自分を自慢するのをやめたはずなのに、これからもモノでの自慢競争はいつでもエントリーできると気づいた。
気づかぬうちに、エントリーしている。
それ以来、エントリーに関しては、とりあえず、「下りる」。
「下りる」カテゴリがいつのまにか、「素敵な暮らし」にまで及んだようだ。
ただし、人の暮らしやモノを「素敵だ」と思う心は変わらない。
「素敵」のない暮らしは、外側からはみすぼらしく見えるのかもしれない。
昔憧れた、マンハッタンでの都会的な暮らしでもなく、和の慎ましい暮らしでもない。
友人と楽しく飲み歩くわけでもなく、お洒落な服を着てお洒落なお酒を嗜むのでもない。
憧れたこと、なんにもしていない。
なのに心は清々しい。
幸福である、というより、心が健康であるというのが相応しい。
そして、そういうふうに健康な人が、世の中にははるか昔から、今の時代も、たくさんいる。
- 1
- 2